こんにちは、こーでです。
仕事が忙しくて忙しくて
目が回ります。
早く落ち着いてほしい。

そうこう言っている間に11月
気づけば暦の上では11月。
ひどく冷え込んだり
冷え込みが緩んだり落ち着きませんが
着実に、時は過ぎていっているわけですね。
おそろしや。
寒いのがあまり得意ではないので
靴下を新調し
壊れかけていた湯たんぽも買い替え、
お気に入りの良い香りのするカイロを購入したりして
冬を迎え撃つ準備をしています。
さぁ!来るなら来い。
(控えめでお願いします。)
最近よく思うこと
それは、タイトルにもあるように
「自分の行動でしか自分を救えない」ということ。
結局は、行動するしかない、ということです。
そんな話ばっかりやな…と思う人もいるでしょう。
でも、やっぱりこれは、ものすごく大事なことだと思うので何度でも書きます。
わかった気になっている世の繊細さんたちのためにも、
しつこく書く。
頭でっかち、
書痴だった過去があり
過敏で、妄想屋の私がいうのもおかしいですが
「妄想やイメージ、心の中の想いだけでは
人生は良くならない」のです。
それらの目に見えないものから、行動があってこそ
世界は変わるのです。
「あたりまえやろ!」という人は、世慣れた方でいらっしゃる。
私のような、頭でっかちは、
その当たり前がわかるまで、どれだけ時間がかかったことか。
思考は大切。
しかし、行動はもっと大切。
初めての精米
日々、あらゆることを通して、
「自分の行動でしか、自分を救えない」を実感していますが
最近、一番それが身に染みた出来事を紹介します。
2ヶ月ほど前に、白米と間違えて、玄米5キロが送られてきました。
白米だと思って米びつに入れようとしたときに
目に映るものが茶色でひどい衝撃を受けました。
「玄米ってどうやって食べるの?」とさっそく検索するはめに…。
皆さん、ご存じかと思いますが、
玄米は吸水や炊飯に、白米よりかなり時間がかかるのです。
そこで、玄米だけではなく、白米8割に2割程度混ぜるやり方で
消費することにしました。
しかしここで、大きな問題が…味です!
炊き立ての味は悪くないのですが、すぐぼそぼそとしてきます。
ゆめぴりか推し!~ふるさと納税お勧め品~ | Office Arde Code 日記
こちらにも書いた通り、私、冷えた米、ぼそぼそとした米が
本当に嫌いなのです。
しかもしかも、
しばらくすると、
玄米に、
虫が!!!!
虫が湧いたのです・・・・。(おそらくコクゾウムシ)
急いで、できうる限り、虫を処分。
しかし、そこから、玄米を食べる気がうせてしまいました。
狭い部屋の中で、
茶色の負債物として幅を取る、4キロほど(少し食べたので)の玄米。
日に日に、その存在にいらいらしてきました。
しかし、食べ物、しかも米を捨てるということは、
「コメは大事に食べなさい」教育を受けた
私にはできません…。
「もう嫌だ…どっかにいってくれないだろうか…」
「目が覚めたら、あれがなくなっていないかしら」
お得意の現実逃避です。
名前を呼んではいけないあれとなっていました。
しかし、もちろんそんなことで、玄米は消えたりしません。
困り果てて、ぽろっと、その話を仕事の出先でしたところ、
周囲の方から
「精米機を買うべし」
「100円精米を使うべし」
「玄米から精米したコメはむちゃくちゃうまい!!」
という助言の数々。
普段、クールなタイプの方が、
熱く、「精米するべし」「100円精米を探せばあるはず」といってくださったのが
私の心に火をつけました。
「やったろうやないか!!精米!!」
仕事後へろへろ状態で、
ネットで精米機と検索すると、
公共交通機関を利用していける場所にJAの支店があり
そこにはワンコイン精米機があるとのこと。
「これなら…いける!!」
とある日、早朝、米持参でこれまで行ったことのない土地に足を運びました。
スマホの地図を片手に、うろうろしてようやくJAまでたどり着きました。
早朝なので誰もいないかと思ったのですが、
おじさまがすでに精米中。
どきどきしながら順番をまちます。
精米を終えたおじさまの会釈を会釈で返し、精米機ボックス?の中へ。
(写真撮ればよかったけどそんな余裕はなかった…。)
玄米を右側の箱に入れて、100円を投入後、精米を待ち
左側に袋をかけて受け止めるシステム。
どの程度精米するかを決めるボタンもあったけど
よくわからないので、標準をおしました。
量も少なかったので、さほど待つまでもなく、あっという間に、
ホカホカの白米が!!!
「『茶色のあれ』から、お米になった!!」と大感動。
そしてその日に、そのお米を炊いて食べました。
噂通り、大変、おいしゅうございました。
もともと玄米の段階でも美味しい米だったのだとは思うのですが
「私の求める米」になって帰ってきました!!
ものすごい達成感でした。
玄米から精米したての米はうまい!!
精米で学ぶ行動の大切さ
というわけで、
玄米から精米したての米は非常においしいのですが
私が言いたいのはそれだけではありません。
やっぱり、「行動しないと、玄米は精米されなかった」ということなんです。
当たり前すぎる?
いやいや、でもこれがたぶん、大事なことなんだと思う。
「あれ、いやだなぁ」「どっかにいってくれないかなぁ」と
妄想しているだけでは、
玄米は、玄米のままだったわけです。
「どうしたらいいんでしょう」と他人に話すという行動があったから
「玄米から精米したてのお米は美味しい。精米するべき」という
生の声が聞けたわけです。
小さい行動があったから、心に火が付くやりとりが起きたともいえるでしょう。
そして、その火が消えないうちに、検索、実行しました。
我に返ると「馬鹿らしい」となりそうだったので
「そんなことして何の意味があるのだ」と考えないように
どんどん次の行動を決めていきました。
この「そんなことして何の意味があるのだ」思考って
本当によくないと最近思います。
そんなこと考えている間に体を動かせよ!私。
やらない言い訳考えているだけでしょう!!それ。
最近、
「意味なんてない。価値なんてない。とにかくやる」
「失敗しても、笑われても、関係ない。やることに意味がある」
とよく唱えています。
冷笑的でシニカルな態度をやっていられるほど、
人生の時間があまってるわけじゃないんだよ、もう。
この姿勢が許されるのって、若い時だけだとようやく気が付きました。
いい年だからこそ、どんどん行動していくべきだとおもうのです。
「自分の行動でしか自分を救えない」
目に見えない誰かとか、奇跡に頼るより、自分で行動を起こしましょう。
小さな行動でいいのです。
まずは、一歩、動きましょう。