ドチャクソに久しぶりの更新です。
この2ヶ月ほどずっと何かの書類の締め切りに追われ、
(まだ終わってない)
毎日が宿題の終わっていない夏休み最終日の気分なあーでです。
気がつけば昨年夏の小笠原への旅から半年以上が経っており、
もはや新鮮さもくそもないのですが、
中途半端に終わるのもなんなので、
今思うことも交えながらざっくり振り返っておこうと思います。
小笠原旅行4日目前半
台風一過。
船の時間が大幅に遅れ、日帰りで予定していた母島には渡れず。
行きたかったな母島。
というわけで午前中は森歩きツアーに参加。
夜中のうちに通り過ぎた台風の影響で、道はところどころ倒木による通行止め。
タコの木の大きな実が枝ごと折れて道に落ちていたので持たせてもらったらめっちゃ重かった。
こんなの頭の上から降ってきたら大怪我するぞという重さ。
南国の木々の中を海へと続く道を歩く。気持ちいい。
モモタマナという木の実。軽くて水に浮かぶから、その昔太平洋を渡って小笠原にたどり着いたらしい。
モモタマナの中身は食べれるそうで、ナッツみたいな味らしく、地元の子供たちのおやつになることもあるとか。
効率悪すぎて商用にはならないのだとか。
軽石。
これが令和3年に小笠原沖で起きた海底火山の噴火の影響で、沖縄まで大量にいって大変なことになったやつ。
確かに軽い。
海辺の火山の噴火によって作られた地形がわかる岩。
小笠原の島々はは火山によって作られて、一度も大陸と繋がったことがない。
これは世界中でとても珍しいことなんだそう。
小笠原諸島は固有種が多く、独特の気候、文化、生き物たちの進化の場所。
だから東洋のガラパゴスと言うんだな。
ガジュマルの木登りと戦跡残る森の中を歩く
海辺から場所を移動してコーヒー栽培を見学したり、滝を見たり、ガジュマルの木登りをしたり。
ガジュマルの木登り。楽しい。
森の中には80年前の名残も多く残っている。
戦時中に使用されていた瓶。
大日本麦酒というビール会社があったらしい。
鉄条網が塊になって残っている。
鉄条網を巻き込んで成長した木
戦前に住んでいた小笠原の人々は、1人風呂敷一枚分の荷物しか許されない強制疎開で内地へ移動させられ、硫黄島なども含めて戦地となった。
風呂敷一枚になんて。
それまでの人生を、生活を支えてきた大切な物を置いていくつらさは想像に絶する。
いつか帰ってきた時のために、小笠原の人々は大事なものを地中に埋めていたのだそう。
今も地中から陶器など当時の生活用品が見つかることがあり、
それを再利用したりアクセサリーに加工してお土産にすることで
戦争の記憶を未来につなぐ取り組みがされている。
戦争も災害も忘れないことや知ることが支援になることがあるんだなと
改めて感じた。