追憶のセビーチェ ~2013年ペルー旅行の思い出前編~

楽天ROOMやってます

先日コーデさんとコストコに行った時のこと。

当初マンゴーしか眼中にないぐらいの勢いではあったのだけれど

結果寿司だのパンだのナッツだのが視界に入ってはちゃっかり買いまくってました。

その中でも一番目をひいて即買いしたのがこちら。

コストコのセビーチェ

「セビーチェや!」

見た瞬間、小さく叫んで気が付いたら抱えてコーデさんの押すかごへ走ってました。

セビーチェがなにかと言えば、海鮮サラダです。

旅と投資と心理学

こんにちは。あーでです。

セビーチェが目に飛び込んできた瞬間。

思い出したのは2013年3月のペルー旅行。

首都リマで食べたセビーチェはとても美味しかった。

海外旅行に行くと必ず、しばらくはその国にかぶれてしまう私なのですが、

ペルーに行ったあとは、半年ぐらいはペルーで買ったかばんを持ち歩き、

日本で普通に持ち歩いてたけどだいぶ派手やな

街でセビーチェを探し求めていました。

でもなかなかないんですよね。

ペルーっぽいセビーチェ。

あるのはメキシコ風のセビーチェなんですよ。

コストコのセビーチェもメキシコ風でした。

いや美味しいんだけどね。

コストコのセビーチェ。これはこれでおいしい。

でも私が美味しいと思ったペルーのセビーチェは

マンゴーは入ってなかったし、ピリ辛ぐあいもちょっと違う。

そう、このコストコのセビーチェにはコリアンダーが入っていない。

コリアンダーはパクチーとかシャンツァイ(香草)とかと同じもの。

ペルーのセビーチェにはだいたいコリアンダーが入っていた。

パクチーが苦手な方にはおすすめしないぐらい存在感あった。

私自身はそこまでパクチー好きでもないけど

ペルーのコリアンダーはなんかちょっと風味が違って美味しかった。

残念ながら写真が残っていない。

なぜなら2014年の正月に私のスマホのデータが全部とんじゃったし。

そもそもその頃はまだ今ほどスマホで写真撮ってなかったし。

というわけでわずかに残る写真と記憶をもとに

ペルー旅行8日間をプレイバック。

2013年3月21日出発

飛行機を乗り継いで乗り継いで30時間の空の旅にて初南米。

これまでで一番長く飛行機に乗った気がする。

地球の裏側って確かに遠い。

ツアー代金も過去で一番高かった(8日間でたしか40万超え)。

到着してホテルについたのは夜中の1時過ぎ。

そして出発時間は5時。

時差ぼけマックスでナスカの地上絵へ。

2013年3月22日 ナスカの地上絵

ナスカの地上絵はみなさんハチドリとかクモとかが有名だと思うんですけど

他にもいっぱいあって生き物だけで数十種類、幾何学模様はなんと数百。

なかなか見ごたえがあります。

肉眼で結構はっきり見えましたが写真は撮れず。

なぜかって?

カメラ構えようもんならめっちゃ気分悪くなって

気が付いたら飛行機酔いMaxでリバース。

(お食事中の方失礼)

セスナの運転手さんは片言の日本語で

「サル~(の地上絵をごらんください)」

「イヌ~(の地上絵が見えるでしょ☆)」とご機嫌に案内してくれていたが

30分ほどのセスナ遊覧飛行は地獄でした。

ナスカの地上絵は時差ぼけのときに行くもんではない。

そしてリバースしていたのがセスナ(20人乗りぐらい)の後部座席にいた私と反対側のご婦人だったことを思うと

たぶん後部座席がはずれだったな。

驚いたのは当時まだ日本でもあまり使ったことなかったWi-Fiが

リマのホテルはロビーだけだけど使えたこと。

ペルーからSNSの更新なんかしてみてました。

2013年3月23日 世界遺産クスコ

セビーチェなど魚介のおいしい海側の首都リマを出発し、

山側のクスコへ出発。

羊じゃないよ
アルパカだよ

クスコへ向かう途中の休憩所でいたアルパカさん。

このあと高地に向かうに連れて普通に見かけるようになりました。

(日本で言えば民家の軒先に犬がいるレベルで)

めっちゃ可愛かったけどあんまり近づいたらめっちゃくさいつば吐かれるから注意です。

他に天竺ネズミ(大き目のモルモットみたいなやつ)もいましたね。

かわいかったけどこちらは食用とのこと。

ペルーは海側、山側、さらに奥のジャングル(アマゾン)側の3つに大きく分かれて

気候や食の文化にも違いがあって面白い。

市街地が世界遺産のクスコではまず市内観光。

クスコは山側の都市と言っても日本の山とはけた違いに標高が高い。

標高は約3400メートル。ほぼ富士山やね。

そんな富士山の上にあるような標高のクスコはとても美しいまち。

インカ時代の石畳や壁とスペイン植民地時代の建物の風景がなじむ。

スペインはインカ帝国が作り上げた建築物をつぶし、

その上にスペイン風の建築を建てることで民族の文化まで乗っ取ろうとした。

でもインカ帝国の石造りがあまりに精巧で頑丈で土台を崩すことができず、

あきらめて土台だけは残してその上にスペイン風の建物を建てた。

どんなに人を支配しようとしても、

その積み重ねた文化のその土台まではつぶすことはできないんだ。

そのことをカミソリの刃一枚通すことができないというほど

精巧で頑丈で美しいこの石の壁が証明している。

以前スペインで見たアルハンブラ宮殿は、

当時支配していたイスラム教の文化と技術の粋がつまった美しい建物で

スペイン軍が再征服(レコンキスタ)するために攻め入ったとき、

イスラム軍はアルハンブラ宮殿を作った職人たちの目や手をつぶしたという。

積み重ねてきた文化まで渡してはならないという強い思い。

レコンキスタの後にインカ帝国に攻め入ったスペインは知っていたのかな。

本当の支配とは、命やお金を奪うことではなく、

精神や文化を奪うものなんだってこと。

2013年3月24日 マチュピチュ村へ

クスコからいよいよマチュピチュへの出発。

マチュピチュへは電車でしかいけず、電車にスーツケースの持ち込みができないので

一泊二日分の荷物をリュックサックに詰め替えて

オリャンタイタンボ駅(なんか語感が好きで覚えてた)から高山列車で出発。

うねるように山沿いをスイッチバックしながら走る電車からときおりうっすら見えるインカ古道。

インカ帝国時代は総延長6万キロメートルにも及んだという都市と都市をつなぐレンガや石の道。

文字をもたないインカ帝国の文化にあって、メッセージ(縄に結び目がついたもの)

を伝える飛脚のような人が毎日何十キロとこの山道を走っていたのだとか。

こんな標高高いところを何十キロと走れるとか

マラソンランナーの高地トレーニングもびっくりや。

クスコでガイドさんから

「くれぐれもはしゃいで走っちゃだめですよ!」って言われたの思い出す。

数時間でマチュピチュ村に到着。

写真残ってないけどマチュピチュのホテルまじでおしゃれだった。

全然Wi-Fiフリーで最先端。

そしてホテルで飲んだピンクレモネード。

人生で一番うまいレモネードだったな。

(レモネードを飲んだ経験自体すくないんだけど)

後編へ続く。

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